父は、九十三歳。
夏の間に、少しずつ体力が弱まり、八月末にとうとう入院をした。
一時は、危篤だということで、東京へ行ったが、持ち直している。 とはいえ、医者はあまり長くないから、親戚などに知らせ、今のうちに会っておいてもらった方がいいという。
病院での感想は
いつもながら医者は、病気を見ているけれども患者の人生を見ていないなと思った。
入院しているという状態は、患者にとってその人生の一駒なんだという理解があると、対応がもう少し違うのではないか。
親切でないとか、サービスが悪いというようなことではない。
若い医者だからしょうがないといえばいえるかもしれないけれども、難しいことには違いない。
なんと言うのか、例えば、私がヨーガの指導をするとき、私もみんなもその瞬間、人生を共有しているという感覚が大切なのと同じではないかと思うのだ。
感覚の世界だ。
医者も患者を診ているその瞬間は、自分の人生の一齣で、その一齣を患者と共有しているという感覚が欲しいのだ。
医者がいうことも、やることも変わらなくてもいいのだ。
このことは、あらゆる人間関係に通じるだろう。買い物をするとき、店員と客とはそれぞれの人生の一齣を共有する時間なのだ。
物だけが、そのこを移動するのではない。
店員も客も、魂のキャッチボールをしているのだという事を忘れてはならないだろう。
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