火曜日, 5月 13, 2014

世阿弥 妙花風

私たちはみんな、自分の能力を高めたいと思っています。

スキルアップをしたいのです。

私たちは知識や智慧、技術などのスキルを高めてこそ目的の実現が可能になるからですね。
人によって様々な目的をもっています。
仕事でも、スポーツや遊びでも、家庭生活でも、その営みの中に目的があります。

どんな目的にも共通するのは幸せのため。
いかえると「愛に満ち、豊かで、健康である」とうことではないかと思います。

そして、そのために努力をします。

ただ漫然とした努力でなく、具体的なものごとを通じて、幸せを実現する技術を通してだと思います。

エーリッピフロムという心理学者がいました。
彼は、「愛する」ということも技術であると言いました。
「愛する」は、相互的です。
愛することと愛されることとは、キャッチボールです。
キャッチボールを磨いていかなければ、愛を実現することは出来ません。
異性愛でも、家族愛でも、人間や動物、大自然を愛することもすべて同じでしょう。

物質的な豊かさもそうでしょう。
お金を貯めるだけ、物を自分のところに集中するだけでは、何のための豊かさかわかりません。
老後のためにお金を貯めるのでも、それは使うときを考えての一時的な貯金です。

健康であるには、やはり一定の技術がいります。
普通、健康法という言葉で様々な技術が普及しているので、今更いうまでもありません。
家庭を持つことも職につくことも自由に遊びまわることも地位、権威と名声をえることも、全部この中に含まれます。

こうした目的のために、
技術を磨き続けていくうちに、いつしか無心の状態になります。
それは、自分も対象も消えて、
ありのままの自己が自在に生きている状態です。

そのとき、自己の存在そのものがそのまま自足しています。


自己は、すべての存在、宇宙と一体なのです。
そのような在り方に生きているとき、彼の周りは花が咲いたように、よろこびに満たされます。
環境、社会とよろこびの波動の共鳴を起しています。

そのことを世阿弥は、妙花風といいました。
「妙と言ふは、言語道断、心行所蔵なり。夜半の日頭、これ又言語の及ぶべき處か、如何。然れば、当道の堪能の幽風、褒美も及ばず。無心の感、無位の位風の離見こそ、妙花にや有るべき。」九位